深谷 勝信

作家や作品の魅力をさらにご紹介する企画「Artist Interview」。
第32回は企画展「薫風展 Breeze Ⅴ」にて弊廊で初展示してくださった深谷 勝信さんにお話を伺いました。愛知県西尾市に工房を構える深谷さん。やきものを始めたきっかけや地元への想いなどを伺いました。展示前に工房に伺い貴重な薪窯の薪入れ体験もさせていただいたので、その様子も併せてご覧ください。

ー 深谷さんと出会ってからは随分経ちますが、今回初めて展示させていただけて嬉しいです。改めて自己紹介をお願いします。

深谷さん(以下敬称略)「深谷勝信です。愛知県西尾市で玄楼窯という工房をかまえてやきものを焼いてます。
元々大学では海の研究をしていて就職先も海の調査会社でした。しばらくは会社員をやっていたんですが、自分がやったことが何か形として残ることがやりたくなりまして。小さい頃からものづくりは好きだったので何をやろうかなと思った時に、愛知といえば瀬戸・常滑と二大産地があるのでやきものに挑戦してみようと思い、27歳の時に脱サラをして瀬戸の学校に通い始めました。」

ー 会社を辞めて陶芸に挑戦とは思い切りましたね!

深谷「そうですね(笑)ただその時はまだ陶芸で行くと決めていたわけではなくて、陶芸をやってみて合わなければ次は木工とか、何かものづくりで自分に合うものをという気持ちで始めました。
でもいざ陶芸をやってみたら全然自分の思い通りにいかなくて、学んでいくうちに陶芸の奥深い魅力にどんどん惹かれていきました。学ぶなかで、火を使って焼き締める昔ながらの薪窯をやりたいと思うようになって弟子入りできるところを探したところ、岡山県の備前で備前焼をやっている山本 出 先生(人間国宝 故 山本 陶秀 四男)のところにちょうどタイミングが合って弟子入りが叶いました。」

ー なるほど、備前焼をやりたかったのではなく薪窯から入っていったんですね。

深谷「弟子を取るタイミングに重なったのも本当にご縁ですね。違う方に出会っていたら全く違うものになっていたと思います。薪窯って場所もいるし煙も出るしでなかなか始められないですが、私の実家が農家をやっていたのもあって初めから出来る環境が整っていたのも大きいですね。
独立して最初は備前焼を作っていたんですが、愛知県で備前焼というのもやはり違和感があって、だったら地元の土を使ってみようと思いやきものに合う土を探し始めました。そうしたら土建の仕事をしている知人が工事の際に粘土質が出たからと声を掛けてくれて、見てみたら黒い粘土に金属が入ったような面白い土だったんです。
それで地元で取れた土ということで、地名である「幡豆(はず)」から「幡豆焼(はずやき)」と名付けてそれを使い始めました。」

ー それまで西尾で取れた土を使った陶芸はなかったんですか?

深谷「室町時代に神社などの瓦を作るため使っていた窯が史跡として残っていて文献などには載っているんですが、その後衰退して途絶えてしまったようです。なので復興するような気持ちも込めていますね。ただ瀬戸などの産地のように多くの土は取れないので、30cmくらいの層を手掘りしていくというのを地道にやっています。それより深くなると砂利など別の地層になってしまってやきものとしては使えないので。」

ー 地道な作業ですね。幡豆焼と名付けられたのも地元への愛を感じます。

深谷「ちょうどその頃、地元の「幡豆町」が平成の大合併で「西尾市」になったんですね。「幡豆」という地名がどんどん無くなっていく寂しさもあり、名前を残したいという想いで「幡豆焼」という名前にしました。幡豆焼という名前を明記しておくとお客様と話すきっかけにもなるんです。」

ー 先日薪入れの体験もさせていただいたんですが、改めて大変な作業だなと感じました。

深谷「薪を入れて1200度前後に窯の温度を保つつ一週間24時間交代で見守り続けて、それでも上手く焼きあがるのが今回だと50%くらいですね。ガスや電気だとある程度調整が効くのですが薪窯の場合は本当に天候や薪の質などに左右されるので、それが一週間焼いている間にどのように影響するかというのが窯から出してみないと分からないですよね。昨年は99%くらい駄目になってしまって、雨が続いたので温度が上がり切らなかったのが原因だと思います。」

ー 季節に左右されるからこそ気候の良い限られたタイミングしかできないんですね。ガスなどで焼いたものより薪窯はやはり風合いが違うものなんでしょうか。

深谷「薪窯だと燃やした木の灰が自然と作品にかかり、それが自然釉となって自然の模様・景色ができるんですね。それは炎が運んでくれるもので、自分が思ったのと違う方向に炎が走ったり、一定の場所に留まってそこだけが焼けすぎてしまったり。今までの経験からある程度出来上がりをイメージして置き場所を決めるのですが、大概思い通りにはならないんですよね。よく“火の神様がいる”といわれるんですが、想像ができないそういった人智を超えた何かで作品が成り立つ世界なのかなと思います。」

ー 薪窯はより自然の力を借りて出来上がるものなんですね。

深谷「はい、同じ幡豆の土でも一週間かけて窯の中で冷ますか、焼いた後すぐ窯から出して冷ますかでも色合いが全く変わります。ゆっくり冷ますと艶消しのような色合いになりますし、急冷すると艶感がでます。佐久島で取れた石の粉(釉薬)を上からかけて灰が被らないように蒸し焼きのようにしているものもあります。炎の当たり方でも窯変しますし、釉薬の組み合わせによっても無限に広がるので、この仕事は永遠に終わらないなと感じますね。」

ー 同じ土でも工程によってこんなに表情が変化するなんて驚きです!

深谷「西尾のお茶(木)の灰をかけたものもあります。土、灰、釉薬と地元で取れるものを活かしながら表現しています。お茶の木もお茶屋さんに協力してもらい木を切らせて貰ってるので本当に色んな方の協力があって制作できています。」

右から、一週間かけてゆっくり冷ますもの、急冷したもの、佐久島の石の粉をかけて焼いたもの。同じ土でもさまざまな表情を見せてくれる。
黄土色の部分が西尾のお茶の灰をかけている(緑の部分は銅)

ー 作ってみたら思いがけない色が出たぞ、みたいなことはあるんですか。

深谷「ほとんどがそうですね。発見の連続です。自分が思う以上の結果が出てくるのがこの土の面白さです。土自体に鉄だけじゃなくマンガンとか色んな金属や成分を多く含んでいるので自然と複雑な色が出てくるんですよね。焼いてみないとどうなるのか分からないので、何度も実験を重ねて成功失敗を繰り返しながら日々制作しています。」

ー 同じ土とは思えないくらい色んな表情があるのでその点も魅力ですね。形や模様などのこだわりはありますか?

深谷「一つ一つ変化をつけたくてあえて歪ませたりしています。使う際に持ちやすいように模様をつけたり、私の場合は飾って美しいものはもちろんですが日用使い出来るものを意識していて、お華やお茶も習っていますが自分が使うならどんなものが良いかなと想像しながら作っています。
こんなにバラエティに富んだ粘土って全国的にみてもそんなにないと思うので、まだまだ色々試してみたいなと思います。」

ー では最後にお客様にメッセージをお願いします。

深谷「薪窯で焼いた幡豆焼を多くの方に知ってもらえたら嬉しいですし、片口やぐい呑みなどはお好みの組み合わせを選んでいただけるようになっているので、色々手にとって楽しんでいただけたらなと思います。」

ー 私たちも幡豆焼の魅力をもっとお客様にお伝えしていきたいと思います。ありがとうございました。

深谷さんがご参加くださっている企画展「薫風展 Breeze Ⅴ」は6月1日[日]まで開催しています。ぜひお越しください。

インタビュー:榮菜未子 / 写真:木村宗一郎

深谷 勝信 / Katsunobu Fukaya

1975年愛知県生まれ。
備前陶芸家 山本 出氏(人間国宝 故 山本 陶秀 四男)に師事。
薪窯を中心に地元で掘った粘土を使用した「幡豆焼」をオリジナル作品とし、日常使いの器から花器などを制作しています。陶芸の原料となる「幡豆地区の粘土」や「抹茶の灰」などは、周りの協力の下で採取することが可能で、その方々の想いも込めた作品を作り出すことを日々心掛けています。


薫風展 Breeze Ⅴ
小坂未央 / 廣瀬絵美 / 佐々木伸佳 / 深谷勝信 / 尾崎雅子
2025年5月17日[土] – 2025年6月1日[日]

JILL D’ART GALLERY

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