田淵 太郎 × 谷 穹

作家や作品の魅力をさらにご紹介する企画「Artist Interview」。
第8回は現在開催中の二人展「シンクロニシティ」にご参加くださっている田淵 太郎さん、谷 穹さんにインタビューさせていただきました。お二人の陶芸への考え方や向き合い方、世界観など、陶芸の奥深さを感じることができて大変勉強になりました!ぜひご一読ください。
※メイン写真左から谷さん、田淵さん

ー インタビューにご協力いただきありがとうございます。まずそもそも陶芸を始めたきっかけをお聞かせください。また数あるやきものの中でそれぞれの技法に行き着いた理由はありますか?

谷さん(以下敬称略)「元々やきものの家に生まれて穴窯で焼成もしていたので。ただ大学は違う道に行っていたんですが、その後色々あって結局家に戻ってやきものをやり始めました。」

ー 元々違うことをやろうとしていたんですね?

「そうですね、彫刻家になりたかったので大学で勉強していて、その時良い先生に就いていたので考え方みたいな部分は凄く教えていただきました。
それから家に戻ってやきものを始めるんですが、家にあった中世の信楽の資料などを見ていると現在のものと形や雰囲気がだいぶ違うんですよね。
この違いは何だろうと感じたのが陶芸を始めたきっかけかもしれないです。
そもそも信楽って、江戸時代以降からズレたイメージを持ってずっと進んでいるんですよね。」

ー ズレたイメージとはどういうことでしょうか?

田淵さん(以下敬称略)「インタビュー前に少しお話し伺ってて、いわゆる現在一般的にイメージされる信楽というのは商業的な部分が加わって造られたもので、谷さんはそこに違和感を抱いているのかなと。」

「やきものって、考え方そのものなんですよね。日本は言語の文化ではないので、昔の人はやきものとかに残していったんだと思うんですよ。
東洋のやり方としての“意識の残し方”がやきものだと思っているんですよね。その流れを続けていかないといけないんではないかと思っていて、そこにどうやったら辿りつけるのかを技法なども身につけながら掴もうとしています。」

ー 家族三代でやきものをやられているとお伺いしましたが、お爺様やお父様の影響は何かあるのでしょうか?

「祖父や父のものも僕が感じる信楽とは少し違っていて。もっと引いた目線で信楽をもう一度見直してそこから作り上げて行こうと思って、自分自身で再構築していってる感じです。
中世のものと見比べてみてもなかなかそこに辿り着かないと思っていたんですが、ふと近づく瞬間があって、その積み重ねをしている段階ですね。まだまだ先があるなと感じています。」

ー なんだか質問1つ目から凄く深いお話で、緊張してきました(笑)田淵さんはいかがですか?きっかけはなんでしょうか?

田淵「僕はそんなに深くないですよ(笑)やっぱり興味があったということに尽きると思います。
進学するにあたって将来ものづくりの職に就きたいなと思っていたんですが、陶芸だったら将来のビジョンがなんとなく湧きやすかったからというきっかけでやり始めました。ただやり始めたらやきものって凄く奥が深くて歴史もあって、面白いなと思ってどんどんハマっていったという感じです。」

ー 白磁を薪窯で焼く手法はその頃からやっていたんですか?

田淵「穴窯焼成で白磁を焼くというのが僕の一つの特徴ですが、それも二十歳くらいの時にある陶芸家の方の穴窯に磁器の粘土で作った自分の作品を入れて焼かせてもらったことがあって、その時に凄く面白い変化が見られたんです。
この表現を将来追求していきたい、この先これをやり続ければ何かあるなと感じて、試行錯誤を繰り返しながら今に至っています。」

ー その時はこういう表情が出ると思わずに焼いてみたんですね。

田淵「そうですね、偶然でしたが自分の将来を決定づける大きな出会いだったなと思います。」

ー 制作環境について、どんな場所で制作されているのでしょうか?山の中にあるイメージです。

「信楽って江戸時代に技術革新があって量産するために窯の形が変わるんですね。それが先ほど言ったズレたイメージに繋がっていくんですが、昭和の中頃からまた穴窯が見直されて、その後うちは早く穴窯を始めた方なので信楽ではわりと街中にありますね。まぁ信楽は田舎ですけど。」

田淵「僕は結構山の中ですね。地元の香川に帰って薪窯をやりたかったんで色々探して一から作りました。そこまで山じゃなくても良かったんですが、ここだったら良いものが作れるかなという感覚があって、そこで20年くらい制作してます。」

ー 何もないところから窯を作られたんですね。

田淵「建物自体はありましたけどね。まぁでも作業場を作っている時は前に進んでいるので楽しかったですよ。環境が整ってからはいよいよ自分と向き合わなければいけない時間がきたなという。そこからの方が大変ですけどね(笑)日々作品作っていって、もっと良くしていこうってその繰り返しです。」

ー どんなことをイメージして制作にとりかかるのでしょうか?ある程度完成イメージを持って臨むのでしょうか?

「僕はないですね。イメージはないですが意識は残したいという思いはあります。過去に引っ張られないこととイメージを持たないよう気をつけています。
説明が難しいですが、理由のある形というか、形に自ずと理由が出てくると思っていて、それがやきものの良いところなんじゃないかなと。
例えば壷なら壷で、どういう理由でそのような形に成り立っていくのか、といことが少しでも見えたら良いなと思っています。とはいえそんなことをいつも思いながら作っていると変なことになっちゃうので、田淵さんも仰ってたように日々繰り返していく中で前より少し良くなったなとか、そういうものを一つの道標にして制作しているのかも知れないですね。」

田淵「僕の場合はある程度イメージしますかね。ただ最終的には火に預けるのでイメージ通りにいかないのですが、ある程度は決めています。うまくいかなかったら何度も作ってイメージに近づけていますね。
僕の作品は焼きの印象が強いので、焼きを生かす形だったり線だったりがあると思っていて、そこから組み立てることが多いですかね。」

ー どのような焼き目が出てくるかってある程度予想できるものですか?

田淵「自分の焼き方というのがあって、窯のどの位置に置くかでこんな感じに焼けるなというのは経験値である程度分かります。その中での予想外の変化というのはどうしてもありますが、そこが面白さでもあると思うので。」

ー では最後に、出来上がった作品についてだったり見方だったり、自分の中でこだわりのポイントがあれば教えてください。

「僕の場合は固定概念を持たないで欲しいということですね。思い込みで止めてしまうとそこから先に進まないので、あまり名詞に押し込めずに持ってもらいたいです。
やきものって“読める”んですよね、情報がいっぱい詰まっている。それは技術を知っているからということもあるんですが、飲み口だったり形だったり、やきものを見て触れていると歴史も感じていくことができるし。
それを名詞、例えば『これは信楽焼だ』としてしまうとそこで思考が止まってしまうんですよね。それは勿体無いなと思います。」

ー 見る角度によって表情が違うなと感じたり、持った時に自分の手にしっくりくるなと感じることも“読む”ということに繋がりますかね?

「やきものは“0センチで見る事が出来るもの”で本来触ってみるものですし、自分の手の中で感じることって今現実に起きていることだと思うので、それをそのまま感じてもらえれば良いのではないかなと思います。」

田淵「僕の場合は結構分かりやすく柱にしているのが『かっこいいかどうか』ということです。人それぞれ感じ方は違うと思うんですけど、自分が思うかっこいいを形にすることが僕のものづくりだと思っています。
口の部分とかも結構尖らせているんですけど、やりすぎるくらいの方がかっこいいなと思って。なのでお客様から『かっこいいですね』と言われるとめちゃくちゃ嬉しいですね。
器が使いやすいとかももちろん大切だとは思うんですが、それよりも僕は自分の感情的な部分をどう表現できるかを大事にしているので、その形や焼きなど作品全体がかっこいいかどうかというところを見て欲しいですね。」

ありがとうございました!
考え方は異なるお二人ですが、陶芸に向き合う真摯な姿勢はどこか通じていてその空気感にとても引き込まれました。やきものって深いですね。

田淵 太郎さん、谷 穹さんによる二人展「シンクロニシティ」は10月10日(日)まで(月曜定休)開催しています。お二人の追求している陶芸の研ぎ澄まされた空間をぜひ体感しにいらしてください。

記事:榮菜未子 / 写真:木村宗一郎


シンクロニシティ
田淵 太郎 / 谷 穹
2021年9月25日[土] – 2021年10月10日[日]

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